2013年11月08日

COUNTDOWN JAPAN 13/14のラインナップは「新しい」

年末の恒例フェス「COUNTDOWN JAPAN 13/14」の日程別前出演者が発表になった。とりあえず、ざっくり見た感じの感想を。




ROCK IN JAPAN FES.2013から始まったアイドル出演の流れは継続

今年の夏のROCK IN JAPANで、DJブースに多数のアイドルグループが出演し、一部から「アイドルステージ」と呼ばれるほど話題になっていたのは記憶に新しい。今年のCDJでは、その流れを継続し、各日程共に多くのアイドルグループの出演がアナウンスされた。

30日のBABYMETALや31日のBiS、でんぱ組.incあたりの夏からの連続出演組もいるけど、なんといっても今回の目玉は28日のあっちゃん(前田敦子)でしょう。

RIJの際には、アイドルだとしても「一番ではないけど、そこに負けないくらい実力派のグループ選んでるから!」的なスタンスを崩さなかったロッキン・オン。でも、今回、アイドル界でダントツの知名度を誇るAKBグループの(元)不動のセンターである前田のあっちゃんをラインナップに加えたことは、単に「ロッキン・オン主催のフェスにアイドルが出る」だけでなく、これまで彼らが守ってきたスタンスすら崩しているという意味で、「音楽雑誌社・ロッキン・オンが主催するフェス」という位置づけからもう一歩先のステージに進む大きな一歩だと思う。

一方で、ある意味で一番「ロキノン」受けしそうなももクロではなく、その妹分にあたるチームしゃちほこをもってきてるあたり、まだ上記スタンスを完全に捨てきってない感があるのがかわいいところ(笑)
※アイドル詳しくないので位置づけがわかないから言及できないんだけど、Twitter見てると℃-uteが出てるのも意外性があったらしい(誰かカノジョ達の位置づけを教えて下さい)

で、じゃあ実際CDJにアイドルどうなのよって話になるんだけど、僕はRIJの時に下記ツイートをしてる。










別に、RIJもCDJもアイドル出さなくたって普通に売り切れるだけの知名度も固定ファンもついてるから、チケット捌くために呼んでる訳じゃないと思ってて。彼ら自身、アイドルという音楽をひとつのカルチャーとして「ロッキン・オン」なりの切り口で語るべき必要性を感じていながらも、彼ら自身が創り上げたパブリックイメージ(いわゆるロック至上主義)の中では論じることができないから、フェスという別のフィールドに招き入れ、フェスを語るという文脈で接近を試みているのではないかと感じる。

RIJもCDJも既に「ロックフェス」ではなく、総合エンターテイメント、すなわち「音楽イベントにおけるディズニーランド」的なステージに向かっている(目指している)と思うので、せっかくだからこの流れをとことん突き詰めていって欲しいと思う次第。「ロックフェス」を突き詰めたものなら日本にはこの2つのフェスでなくても気骨に溢れた素晴らしいものがもっとあると思うので。

とりあえず、29日−30日に参加予定なので、℃-uteとBABYMETALは見ようと思ってますわ(笑)


ここ数年とはひと味違うラインナップ

で、アイドル以外はどうなのよって話。

まず一番最初に感じたのは「今年のブッキングはここ数年とは違うな(ポジティブな感想)」ということ。

正直、ここ数年のCDJはなんだかんだでラインナップが毎年似通ってて、発表前に大体誰がどのステージに出るのか予想が立っちゃう部分があった。でも、今年は大きく予想を裏切られた。じゃあ、どこを「違うな」って感じたかというと、次の二点なのかなと。

@名前があっても違和感はないけど、みんなが「出ないでしょ!」と思ってた名前があった
A誰もが想像すらしていなかった名前があった

@について、色々あるけど代表的なものをいくつかあげると、、、
・KEMURI(28日)
・THE CHERRY COKE$(29日)
・BUMP OF CHICKEN(30日)
・RADWIMPS(31日)

いずれも全く違和感はないバンド達、でもいろんな理由でないだろうって思ってたバンド達。
例えば、KEMURIやチェリコはキャリアが長い割にRIJも含めこれまで全く出てこなかったから、今後も出ないんだろうなぁと勝手に感じてた節があったし(同じような人多いと思う)、バンプについて言えば、ただでさえフェスに出る頻度が少ないバンドだし、そもそも夏に出たから冬は出るわけないし、、、的な思い込みがあったはずだし、RADもほぼ似た理由だと思う。だからこのラインナップが揃うと単純に「おぉっ!今年"は"本気だ!!」って思う訳ですよ。


Aについていえば、まずは29日のDJブースのTKこと小室哲哉でしょう。CDJのステージにTKが立つなんて誰が想像していたことか。ちなみに、クラブイベントで何度かTKのプレイ見た事あるけど、練り込まれてて相当凄いです。みんなでの一体感と盛り上がりを重視するロックフェス系DJブースのノリにマッチするかは別として、体験しておいて損はないと思う。

かぶってしまうけど前田敦子、ゲスの極み乙女、tofubeatsあたりもAに入ると思う(個人的には31日のgroup_inouとtofubeatsの組み合わせってとてもすてきだと思う)。

この誰もが想像してなかった意外性も、今回のCDJが話題になるひとつの要素なんじゃないかな、と。


あとは誰がいつ、どこに出るか

すべてのラインナップが出揃い、この時点では「今年は違うぞ、CDJ」オーラを出しまくってる本フェス。となると、これをホンモノにするか否かは、タイムテーブルとステージ割り振りでしょう。個人的には、あれをここでこの時間に見たいとか色々想像は膨らむんだけど、ざっくり書くとか言っときながら意外に長文になってしまったので今日はこの辺で(笑)

posted by Ai_Tkgk at 01:59| Comment(0) | フェス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月11日

RADWIPS「五月の蠅」から考える

来週16日に発売されるRADWIPSの新曲「五月の蠅」の歌詞が話題になってる。
ということで、早速読んでみたんだけど、なかなかにエッジが利いてるなぁ、と。




ネットでは、野田洋次郎が失恋した(振られた)ので、その恨みから作られた曲では?って意見が多いみたいだけど、僕はあまりそうは思えない(事実、RADWIMPS4ってアルバムは、それまでの楽曲の主役だったカノジョとの別れを踏まえて作られているけど、ここまでの楽曲は全く存在していないし)。

僕としては、RADWIMPSの最高傑作は、疑いようもないくらい「絶体絶命」だと思ってる。そして、彼らが発表するここ数作品を聴いていて感じるのは、彼らは、多くのファンが持っている自分たちのパブリックイメージ(=野田君の書く歌詞の登場人物を自分に置き換えることで、絵に描いたような理想の恋愛の主役になるという擬似的な満足感を与えてくれるバンド)からそろそろ脱却したがっているんじゃないかということ。

言い換えれば、主に10代〜20代の女子が「カレシからこんな風に想われたい!愛されたい!」とか、男子が「こんな風に思えるカノジョと出会いたい!」と自己投影し易いがために幅広い層から受け入れられ、チャート上位常連の「みんなが大好きな国民的バンド」から自ら降りようと思っているのではないかと。

現に僕の周りの「RADWIMPS大好き!」って人は、若い人ほど絶体絶命の評価はあまり高くない。楽曲的に見れば、演奏技術は格段に上がってるし、カントリーや聖歌的なアレンジ等、音楽的にも様々なアプローチをしているのにも関わらずだ。(でも、「4645」や「ます。」直系の「君と羊と青」のように、これまでのファンに応えるための楽曲も入ってる)。

多分それはこれまでのアルバムの中で大半を占めていた、周囲と盛り上がれるメロディやノリのある曲が減っただけでなく、みんなが期待している「恋愛」を歌った曲が少ないからだ。野田洋次郎は、「アルトコロニーの定理」の頃から、「おしゃかしゃま」「オーダーメイド」をはじめとして、宗教的観念や(恋愛を挟まない)死生観について書き始めていた。その後は、「マニフェスト」や「携帯電話」のように、一見して恋愛について歌っているようで社会風刺を孕んだ曲が増えている。極め付けはあえてシングルカットされた「狭心症」。
(これはMVも含めて一つの作品だと思う)全編を通して、世界に蔓延るいじめや痛み、差別についてしか歌っていないうえに、結論として光を示しきれていない。現実を直視しないことを選択しながらも、そんな自分に嫌悪感を示して終わる。自己投影し、自らが楽曲の主人公になることで曲の良さを噛みしめる、これまでの「RADWIMPSらしさ」を楽しむことはできない。

理想的な恋愛のバイブルを言語化してくれるRADWIMPSはそこにいないわけだから、とても裏切られた気持ちになった人も少なくないはず。「絶体絶命」の発売日が震災直前だったこと、タイトルをはじめとしてアルバム全体の世界観が震災以降との繋がりを感じずにはいられないことから、あのアルバムは3.11との繋がりばかり関連づけられて論じられていることがとてももったいないし、残念。

野田君と僕、ほぼ同世代。だから、失礼承知で共感できる部分がある。
10代後半から20代半ばまでって「目の前にある大切なもの=恋愛」について語ってることで自分を表現できたし、納得させられた。でも、年をとって多くの経験をすることで、様々なことを考えるようになるし、自己表現の中心が半径片手メートルの事柄を超えたもの(例えば、政治、哲学)にシフトしていくことも往々にしてある。

でも、あの時点での彼は、政治も宗教も差別もそのまま語れないのよ。語ってもそもそもファンには受け取ってもらえないし、届けたいところに届けられない。だって、RADWIMPSのパブリックイメージがあまりにも強すぎるんだから。理想の恋愛を言葉にすることで共感の輪を広げ、スタジアムバンドになったっていうイメージが。10代の子がクラスでRADWIMPSを薦める時、おそらく大半が「歌詞がいいんだよ!カレシ(カノジョ)と聞きたいし、こんな相手を見つけたい!」であるはず。そういうイメージ。

だから恋愛よりも社会性が強いことは歌いづらいうえにあまり期待されていないし、土壌も出来てない。一回その土壌をぶっ壊す必要があったんでしょう。「俺らはもう共感を生む恋愛の歌だけ歌って好かれてたいだけじゃないんだ」と。それがオーダーメイドやおしゃかしゃまから始まって狭心症、アルバムとしての絶体絶命の流れだと。
そう思うと僕にとっては彼らの一連の流れが自然に見えてくる、で、多分、彼らはまだその破壊を終えてないんだと自己認識をしてる。だから、今度はこれまでの絶対的守備範囲だった「恋愛」というフィールドで破壊活動を挑んできた。「俺たちは恋愛の聖人君子じゃねえぞ。こんなどす黒いことだって考える、大人なんだぞ。それも含めて恋愛なんだぞ」と。

それが僕の「五月の蝿」についての考察です。
これでまだ壊せなければ彼らはまだまだいろんな方向で壊しにくるはず。野田君は天才。ゆえに単に感覚に任せて表現するだけでは物足らず、必ず届けたい土壌を作ってから届けにくるはずだから。

バンプの藤君の素晴らしさは、彼のピーターパン性だと思う。どんなに汚れてもその奥にある少年性とピュアネスで歌を作るから、そこにみんなが14歳の自分を投影できる。でも、野田君はピーターパンではない。目の前の事柄1つ1つで汚れもするし、輝きもする。実に人間臭い表現者だと思う。それゆえ、魅力的だ。だから、この2人は、単にロキノン系のみだけでなく、幅広い層から支持されるバンドを動かし続けられるのだと思う。よく藤君と野田君は同じ軸で語られるけど、個人的には全く同意できないし、ナンセンスに思うんだよなぁ。

発売までもう少し。このRADWIMPSがRADWIMPSであることを壊しに行く新曲、どのように受け入れられるのか、とても楽しみだ。


posted by Ai_Tkgk at 11:19| Comment(2) | 邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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